I Love Youには、いろいろな I Love Youがある。純粋無垢の I Love You、一方通行の I Love You、別れてしまったけれど I Love You、遠く離れた I Love You、完全に冷却したかに見えた後にめでたくも復活を遂げる I Love You、二度とそこに戻ることはないけれど I Love You、家族への I Love You、危険な I Love You、嫌いなはずなのに I Love You、すれ違いの I Love You、何となくI Love You、同時にふたりに I Love You、禁じられた I Love You (個人的にこれは遠慮したいが)。
また、完全さを求め消えてしまう I Love You、完璧な人間などいないと知ってから、もういちど I Love You、キリがないですね。。
いずれにしても人の数だけ、多種多様な I Love Youが存在するのだろう。まさに I Love Youという言葉は、本能的でありながらも、人それぞれの、その時点での人生が凝縮された言葉なのかも知れない。
「I Love You」「Je t’aime」「Ti amo」「君を愛している」「オーマイガスッキャウト (Omi ga Sukiout」に至るまで、愛する言葉たちは全て美しい。それが例え虚構に満ちたものに騙された結果であったとしても、その瞬間の切なく純粋な感情はやはり尊いものだと思う。そして、繰り返しになるが、完璧な人間などいないということを許容できるのであれば、虚構もまた真実となる。
さらに話は横道に逸れ、この曲を再び弾き始めたころのある明け方、いつものようにあるメロディーが聴こえてきた。それは『I Love You』だったが、コール・ポーター (Cole Porter) の『I Love You』とは異なり、マイナーな『I Love You』だった。この曲は摩訶不思議黄昏色楽団 (Magical Twilight Orchestra) の12枚目のアルバムとして発表される予定の『愛と永遠のバラード』の中に収録されるだろう。
さて、話はコール・ポーター (Cole Porter) の『I Love You』に戻り、この曲をどのような I Love Youと捉えるかによって表現も様々に変わってくる。そして弾く度に、そのときの気分によって解釈も様々に変化する。
そんな風に繰り返し弾いているうちに、私はこの曲に恋をしてしまっているのかも知れない、なんて思うようになってきた。頭がおかしくなったと思われそうだが (そう、そんなこと今さら考えても仕方がない。。)。I Love Youに恋をする、ますます混迷を帯び、意味も不明なまま、混沌としながらも、味わいは増していく。。
ずいぶん前に音楽好きな友人とショパン (Chopin) の話をしているときに、『別れの曲 (Etude No 3, Op 10)』のあの中盤の難解な部分に関して、友人は「あんな部分いらない」と冗談交じりに言った。当時の私は彼の意見に全く賛成だった。『別れの曲 (Etude No 3, Op 10)』をポップスとして捉えた場合、あの難解な部分は全く不要である。しかしそれからいくつもの時が通り過ぎた今、全く逆の見解が生まれてきた。「いや、あの難解な部分は必要不可欠である」と。そして、あの難解な部分をピアノで繰り返し弾いてみたときに改めて理解できてきた。やはり必要不可欠である。あの部分がなければ、芸術作品としての『別れの曲 (Etude No 3, Op 10)』は成立せず、単なるポップスで終わってしまう。
『別れの曲 (Etude No 3, Op 10)』のあの難解な部分をよく観察してみると、減音音階と半音階による進行を駆使して構成されていることがわかる。そしてそれはジャズ的に解釈してみると、まさにインプロヴァイズされた部分、つまりアドリブ的要素に満ちた部分とも言える。ジャズの世界でも、減音音階や半音階が多用されるアドリブやアレンジは近代的な響きが得られる一方で、抽象的で難解なイメージになりやすい。
先日ふと思い出してYouTubeでオリビア・ニュートン・ジョン (Olivia Newton John) を検索してみた。最初に現れたのが『そよ風の誘惑 / Have You Never Been Mellow』だった。そしてそこに現れたのが、70年代後半から80年代にかけての全盛期から30年以上経過した現在のオリビアだった。そのオリビアを一目見て私は現在のオリビアに夢中になった。
映画『グリース』のころのオリビアはひと際素敵で、当時も「オリビア・ニュートン・ジョン (Olivia Newton John) って、こんなに綺麗だったっけ?」と目を疑ったほどだった。この映画でのオリビアによって、個人的には、彼女に対して、「完璧に美しい人」という印象を植えつけられてしまった。そして、この曲や次の『愛すれど悲し / Hopelessly Devoted to You』を改めて聴くと、外見の美しさだけでは決してなく、オリビアの声と歌唱力がひと際素晴らしいことに改めて気づかされる。
完成一歩手前の現段階で改めてこのアルバムを聴き返してみると、タイトルは『Jazz Club Night (ジャズ・クラブ・ナイト) 』であるにも関わらず、Jazzではない。冒頭ではポップではないと言ったにも関わらず、Jazzの観点からするとあまりにもポップすぎる。しかし、そもそも摩訶不思議黄昏色楽団 (Magical Twilight Orchestra) はJazzを囓っているというくらいにしか考えていないし、『Jazz Club Night (ジャズ・クラブ・ナイト) 』というタイトルのアルバムの中身がロックやポップであっても全く構わないと考えている。しかし、このアルバムのテーマは紛れもなくJazzなのだ。
私がこれまでに聴いた中で最も好きな『ラウンド・ミッドナイト (‘Round Midnight)』、それは間違いなくジョー・ジャクソン (Joe Jackson) の『ラウンド・ミッドナイト (‘Round Midnight)』だ。それはセロニアス・モンク (Thelonious Monk) のトリビュート・アルバム『That’s The Way I Feel Now – A Tribute to Thelonious Monk』に収められている。最初この演奏を聴いたとき、そのアレンジ、哀愁を帯びた即興のメロディー、研ぎ澄まされたピアノの音に惹きつけられた。そして、何度も何度も繰り返し聴いているうちに、もしかすると、これは即興じゃないかも知れないとも思ったが、仮に作曲であったとしても素晴らしい、と思った。そのハードボイルドな世界観がたまらない。