コクトーの肖像

その日の朝、ピアノの練習を終えていつものようにベランダで煙草を吸っているときに、私は李さんからのメールが入っていることに気づいた。中国へ帰る船の上だということで、「話がしたい」ということだった。私はすぐに電話をかけたが繋がらなかった。私はそのとき、それが彼との別れになることを知らなかった。

李さんとはある仕事で知り合った。そのころ、私はたまたまインドの煙草を吸っていたのだが、李さんは「変わった煙草を吸ってますね」と片言の日本語で喋りかけてきた。私は、インド製の煙草で、よかったらどうぞ、と彼に一本差し出した。それが李さんとの出会いだった。それから、私たちは仕事で顔を会わせるたびにいろいろな話をし、いくつかの点で共通点があることがわかった。例えば、彼も私も、ここというときに最大限の力を発揮すれば良い、という考えの持ち主だった。だから、普段は他人からどう見られようとそんなことはどうでもいい。

その当時、私には外国人の知り合いや友人が何人かいたが、最も仲が良かったのが李さんだった。 恋愛に関する相談にも乗ったし、時には街で一緒に悪ふざけもした。といっても他愛のないことだが。仕事で顔を合わせると、遠くからでも手を上げてガッツポーズをするのが、私たちの挨拶のやり方だった。

李さんはワーキングステイで日本に来ていたため、予め日本で居住できる年数が決まっていた。李さんと知り合って二年経ったその年、彼は日本の学校を卒業することになっていたため、就職できなければ、中国へ帰らなければならなかった。私は春になっても李さんから就職の連絡が入らなかったので心配していた。私は李さんを励ますために家に招待し、ご馳走をしてあげようと考えた。そしてメールを送ったが、李さんからは返信がなかった。そうこうしているうちに私も仕事で忙しくなり、李さんのことを忘れかけていた。李さんからの最後のメールが届いたのはそんな矢先だった。

李さんは今、船の上にいる、とのことだった。私はすぐに電話をかけたのだが、メールが届いてからは少し時間が経過していた。すでに李さんの携帯電話は圏外になっていたのか、繋がらなかった。そうして李さんは中国へ帰ってしまった。私はとても淋しい気持ちになった。皮肉にもその日は私の誕生日だった。
そして、しばらくしてから私は、また自分の中でひとつの時代が終わったことを確信した。

李さんが中国に帰ってからしばらく経ったある朝。いつものようにどこからともなくメロディーが聴こえてきた。私はミディアムテンポのちょっと不思議なそのメロディーを捉え、その曲を李さんに贈ることにした。その曲はまだ頭の中でしか編曲されていないが、ピアノでは時々弾いていて、『コクトーの肖像』というタイトルで、いずれ発表される摩訶不思議黄昏色楽団 (Magical Twilight Orchestra) のアルバムに収められることになるだろう。

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